十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:救いの証拠に、聖句が必要?

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:福音を信じて、牧師に相談したら、聖句の根拠は何かと、そんなことを聞かれました。
どうも、何か、ビビッと来た聖句がないといけないらしいのですが…。

1.救いの原則を確認しましょう!

聖書を読んでいて、この聖句に心揺さぶられて、救いに導かれた、という方は、確かに結構いらっしゃいます。

すばらしいことだと思いますが、それを、救いの条件のように言ってしまうと、やはり、それも的外れです。

救われるために必要なのは、福音の三要素、「イエス・キリストは、私の罪のために十字架につけられ、死んで葬られ、復活されたと信じること」を、理解して、信じることだけです。

2.体験を先に求めるのが的外れ!!

もちろん、救われるきっかけとして、聖書を読んで感動することは、尊い体験ですし、私たちは、聖書の内容に何かしら心動かされたから、信じたわけです。

でも、だからといって、何か心に響いた特定の聖句を挙げなければならない、ということはありません。

求められるのは、福音の三要素を理解し、信じることなのです。

罪の自覚と同様、聖書との出会い方、体験の仕方も、人それぞれです。

大切なのは、信じた、という決断に及んだことであって、そこに至るプロセスが重要なのではありません。

イエスの右側で十字架につけられた囚人は、死の間際に、イエスこそ救い主と信じて救われました。彼が行ったのは、信じるという決断だけです。

3.本当の感動には成長が必要!!!

聖書が分かる最初の大きなきっかけは、信じることです。

信じてから、聖書が分かるようになったという人は多いです。

信じる前に、理解して、感動して、と求められてしまうと、ハードルが高すぎて…、本末転倒な気がします。

また、聖書を読む上では、文脈が大切です。

聖書のある一節だけをポッと取り出して、文脈を無視して、勝手に意味づけしてしまう。そういう、おみくじ的な読み方をしていると、聖書の本来の意図から、的外れになっていってしまいます。

そういう意味でも、信じた証拠に聖句を求めるというのは、問題を感じます。

福音を信じられたのなら、どうぞ、さらに聖書の理解を深めていってください。

聖書に記された神の計画の壮大さを知り、神の約束の確かさを体験し、神の愛を味わい知っていきましょう。喜びも、次第とあふれてきます。

聖書の理解が深まるにつれ、信仰も成長していきます。信仰が成長すると、聖書を読む感動も増していくのです。

「あなたの聖書理解は日々深まっていますか? 聖書を読み、神のご計画を知る喜びを味わっていますか?」

わたし自身、いつも自分自身に問いかけています。

「今、あなたは、聖書を感動を持って読んでいるか」、それが大切です。

 

 

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