十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:ヘイトスピーチと言論の自由、どう考えますか?

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:ネット上で飛び交うヘイトスピーチ、本当にひどいと思います。
表現の自由だなんて言う人がいますか、やっぱり許せないですよね。

 

1.誰も自由を縛ることはできません!

創造主が人間に自由を与えました。神に背く自由がなければ、神を愛する自由もないからです。愛するためには、自由が必要です。

人の自由を奪うことはできませんし、心の中は、誰にも縛ることはできません。神が与えた自由は、誰も奪うことのできないものです。

たとえよいことであっても、力尽くで従わせようとすれば、支配にしかなりません。強制的な圧力や手法で心を縛れば、マインドコントロールです。

神は、とことん、人間の自由意志を尊重される方です。

2.しかし、明確に責任は問われます!!

一方、自由をどう行使したか、という、自分の言動には責任が伴います。

英語で言うresponsibility(責任)とは、どう応答(respons)したか、という行動に対する結果責任ですよね。

人が神に背いた結果が死なのだと聖書は記しています。罪に対する罰は厳然としてあります。

人類の罪をあがなう唯一の方法が、まったく罪のない神の子キリストが、身代わりに死ぬということでした。

自由を悪用して、他者を貶め、ヘイトスピーチをする人は、その責任も厳粛に受けとめる必要があるでしょう。

法律も、多くの犯罪に対して、刑罰を定めています。自由と責任は表裏一体、決して切り離せないことです。

ネット社会の匿名性が久しく問題になっていますが、自分の責任の所在を曖昧にして、ヘイトスピーチをするのは卑怯なだけです。

その人は、自由に対する責任があることを自覚しているからこそ、責任の及ばないところで行動するわけですよね。言い逃れの余地はありません。

3.あなたの自由を保ちましょう!!!

聖書は悪の存在を明確に記します。確信犯的にヘイトスピーチをする人は、良心を悪魔と取引しているとも言えるのではないでしょうか。

一方、ヘイトスピーチに対する応答の仕方も問われます。

悪に対する義憤は正当な怒りですが、怒りに飲み込まれてしまうなら、今度は、自分自身の心から自由が失われてしまいます。

神は義の方であり、公正な裁きを行われます。誰もその裁きを逃れることはできません。

おかしいことはおかしいと、論理的に明確に伝え、責任を明らかにすること。同時に、怒りに捕らわれず、自分自身の心の自由を失わないでいること。

それが、最大の抵抗ではないかと、わたしは思います。

「言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。」マタイ福音書 12:36

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