「この世界の片隅に」 淡々と描かれる日常に、はらわたがえぐられていくような感覚

      2017/11/29

新しい感性で描かれた原爆マンガ

近隣での無料の上映会の開催を知って、遅ればせながら、観てきました。

原作者のこうのふみさんの作品は、同じく原爆を扱った「夕凪の街 桜の国」を以前に読みました。

妻の父が、新しい感性で原爆を描く作家が出てきたと、勧めてくれたのでした。

前作もそうでしたが、淡々と日常を描きながら、はらわたがえぐられていくような感覚は、今回はアニメーションということもあって、さらに強く迫ってきました。

義父も、4歳の時、広島で被爆しています。その日、外で遊んでいて、「お日さまが落ちてきた」と家に駆け込んだ。直後に、上空で原爆が炸裂したのでした。

一時期は、仕事も家庭も放り出すほどに、平和運動にのめり込んだ義父。今は、どこの組織や団体とも距離を置きながら、書を通した自分自身の世界で、表現者として生きています。

こうのふみさんの作品は、おそらく、ある立場の人々からすれば、物足りなさや、不満を感じさせるものではないかと感じます。なぜ? というところに触れない。反戦を叫ぶわけではなく、どこかに怒りをぶつけるでもない。

あくまで、市井の視点から淡々と日常を切り取っていきます。でも、それだけに、生々しく伝わってくるものがあるのです。

賛美歌の流れる戦前のクリスマスから始まる冒頭シーン

冒頭、渡し船に乗って行くヒロインの姿の背景に、賛美歌111番「神の御子は今宵しも」が、はかなげなメロディで流れているのが印象的でした。

なぜ、ここで、この賛美歌が? と違和感を抱えつつ観ていると、年の瀬の賑わう広島の街の姿が描かれていきます。華やかに飾られた街には、サンタクロースの姿も。

戦前の日本。想像する以上に、実は豊かで、華やかで、クリスマスには、若者たちがダンスホールで夜を徹して踊り明かしていたということ。先日も、ある本で読みました。

消費文化の中で、自由を満喫する人々の姿が、その時代にはあったのです。

この作品は、なぜ?と問いません。が、ふと気づくと、なぜ?と繰り返し問いかけている自分がいました。

救い主の誕生と十字架と終末 クリスマスが真に指し示すもの

クリスマスの出来事が、改めて心に浮かび上がってきます。

うら若き乙女マリアから生まれたイエスは、布で巻かれ、飼い葉桶で寝かされました。それが、羊飼いたちがメシアを探すしるしとなったのは、その姿が余りにも奇異だったからです。

ベツレヘムには数多くの天然の洞窟があり、あるものは家畜小屋、あるものは墓地として使われていました。

マリアがイエスを出産した小屋には、隣接して墓地があり、入り口には、死者を包むための布が置かれていたのでしょう。そして、この地方の飼い葉桶は石を刻んだものでした。

死者を包む布でぐるぐる巻きにされ、棺桶のような石の飼い葉桶に寝かされた赤子、イエスの姿。それは、キリストの十字架の死を予感させるものに他なりません。

人々の罪を十字架の死をもって贖うために生まれた、それがイエスであり、それがクリスマスです。

戦前にも、この日本で、クリスマスが祝われていた。わたしは、そこに希望を見いだします。

たとえ狂瀾騒ぎに過ぎなかったとしても、確かにクリスマスはあって、福音が語られており、人々には、イエスその人と出会うチャンスがあった。

原爆が炸裂するその瞬間にも、主イエスを受け入れて信じ、救われた人々がいただろう。いや、きっといたに違いないと、思えるのです。

主は、公正な義の神であり、無償の愛の神だからです。

クリスマスが、今の時代に真実に指し示すのは、主イエスの再臨です。

十字架にかけられ、死んで葬られたイエスは、復活し、天に昇られて、父なる神の右に座しています。

そして、終末の大患難時代の後に、再び地上に戻ってこられ、悪を一掃し、世界をエデンの園の楽園へと回復されるのです。

苦しみもなく、嘆きも悲しみもない。そのような世界がやってくるのだと聖書は記しています。

この物語の、真実の結末はそこにこそ見いだせるのだと。改めて噛み締めています。

 

        賛美歌111番 「神の御子は今宵しも」

 1.神の御子は今宵しも
ベツレヘムに生(うま)れたもう
いざや友よ、もろともに
いそぎゆきて拝まずや
いそぎゆきて拝まずや

2.賤(しず)の女をば母として
生(うま)れまししみどりごは
まことの神、きみの君
いそぎゆきて拝まずや
いそぎゆきて拝まずや

3.「神に栄えあれかし」と
みつかいらの声すなり
地なる人もたたえつつ
いそぎゆきて拝まずや
いそぎゆきて拝まずや

4.とこしなえのみことばは
今ぞ人となりたもう
待ち望みし主の民よ
おのが幸(さち)を祝わずや
おのが幸(さち)を祝わずや

 - 聖書とわたし