動画&まとめ ㉓使徒の働き21章 苦難に向かって歩むべきとき ~パウロの逮捕~

   

1. パウロ、エルサレムへ  21:1~15

アジヤ州を離れ、エルサレムへ向かうパウロは、そこかしこの町で、信者を通して警告を受けます。

カイザリア滞在中には、預言者からもとらわれの身になることを告げられたのでした。

必死に止める人々を、逆にパウロは諫め、たとえ死に至ろうと、主に従い通すと、己の決意を告げました。

2. パウロ、ヤコブを訪ねる 21:17~26

エルサレムで長老たちに宣教旅行の報告をしたパウロ。神がなさった業を、人々はたたえました。

一方、パウロに対して、虚偽に基づく中傷がされていました。疑惑を晴らすべく、パウロは、ヤコブの忠告に従って、誓願の儀式の後見人を引き受けることとなりました。

3. パウロ、神殿での逮捕 21:127~36

儀式の期間が平穏無事に終わろうとしていた矢先に、騒動が起こります。

かつてエペソでパウロを迫害した人々が、パウロが異邦人を連れ込んで神殿を汚したと群集を煽ったのでした。

実際にパウロが伝えていたのは、以下のことでした。

①ユダヤ人であるだけでは救われない。福音を信じなければならない。
②律法は救いをもたらさない。
③神の臨在は、どこにでもあらわれうる。

町中が大騒ぎになり、パウロが殺されそうなその時、都を警備していたローマ軍が事件に介入します。

駆けつけた千人隊長と兵士たちを見て、群集の暴行は静まりました。

4. クリスチャンの試練と使命

等報告大震災後に作られた、ある賛美歌で、「私たちが、あなたを守る」と歌っていたのに、強い違和感を覚えました。誰も守れなかった、人間の現実を無視した傲慢さを感じたのです。

クリスチャンだろうとなかろうと、善人だろうと悪人だろうと、大災害は、すべてを飲み込みます。

クリスチャンであることの違いは、あらゆることに意味を見いだせること、それだけです。助かったことにも、助からなかったことにも意味があったと。

クリスチャンにとって意味とは、神に与えられた自分だけの使命を見いだすことに他なりません。

まずは、自分が置かれた場所に、しっかりと立つことが求められます。何のためにここにいて、ここで何をなすべきなのかが、問われます。

答えは、一人一人が、自分で見いだすものですし、すぐに得られるものでもありません。日々、御言葉を心にとめ、適用しつつ歩んで行く中で、少しずつ、見えてくるものです。

分かっていながら苦難に向かって歩むべき時があります。全てを理解し、十字架に向かわれた主イエスを思います。

何にせよ、主が示されたら、行くしかありません。そこからしか次の道は拓かれないのです。

主に示されながら、避けている選択がないか。停滞の背後に、引き延ばしている決断がないか。問われます。

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