十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

動画&まとめ マルコ11:27~12:17 神殿での最後の論争 ~子羊の吟味 挑戦を受けるイエス~

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 権威をめぐる問答  マルコ11:27~33

ニサンの月の12日(火)。過越祭に神殿に献げられる子羊の吟味の日。イエスは神殿で最後の挑戦を受けます。

ユダヤ議会のサドカイ派とパリサイ派。本来対立する者たちが、共同戦線を組んで挑んできたのです。過越祭前、多くの巡礼者で賑わう公衆の面前で、最後の論争の火蓋が切って落とされました。

彼らはまず、イエスの権威を問います。

彼らの対応は決定済みでした。イエスが天からと答えれば冒涜罪で訴え、人からと答えれば、無効だと一切を退ける。

イエスは逆に、ヨハネのバプテスマの権威の所在を問います。ジレンマに陥った議員たちは、返答できませんでした。

2. ぶどう園と農夫のたとえ  マルコ12:1~11

たたみかけるようにイエスが語ったのは、ぶどう園(イスラエル)のたとえでした。

ぶどう園を預かる農夫(指導者)は、主人(神)のしもべ(預言者)たちを追い返し、殴り殺し、最後には、主人のひとり息子(イエス)まで殺してしまいました。

後に最初の殉教者となったステパノの訴えを思い起こします。「あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか(使7:52)」

「家を建てる者たち(神殿の指導者)」は、メシアを拒んだ結果、エルサレム陥落の裁きを受けることとなります。

イエスは、自らの死もイスラエルの裁きも、確定した事実として語りました。

議員たちは、自分たちを指したたとえだと分かったものの。群衆の反応を恐れ、退散するほかありませんでした。彼らの完敗。誰の目にも勝敗は明らかでした。

3. 皇帝への税をめぐって  マルコ12:13~27

公式な論戦に敗退した議員たちは、子分たちを刺客に放ちます。彼らは、見え透いたお世辞の後、イエスを罠にはめるべく、質問を投げかけました。

「皇帝へ税を納めるべきか、否か」

はい、と答えれば、ユダヤに対する裏切り者。いいえ、と言えば、ローマへの反逆者となります。

イエスは、質問に答えず、ローマの銀貨を掲げ、「誰の肖像、銘か」と尋ねました。銀貨には、カイザル(皇帝)の肖像が彫られていました。

「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と告げたイエスに、人々は驚嘆しました。

ユダヤの人々は、支配者ローマの統治によって、整備された道路網や治安などの恩恵もこうむっていました。

神の支配による恩恵となれば、計りきれないものです。見事な答えに、刺客も退散するほかありませんでした。

4. 赦しの根拠  マルコ11:24~26

地上の権威は、それが神の権威に対立しない限り、従うべきものです。

しかし、イスラエル指導者たちは、どちらの権威にも従っていませんでした。

エルサレム陥落において、彼らは、権威ある神により、地上の権威であるローマにより、滅ぼされてしまいました。

信じたなら、従う。理解したなら、実行する。

大失敗したペテロが、誰より主に愛されたように。主は、挑戦した結果の失敗をとがめる方ではありません。

主が嘆かれるのは、悔い改めない、かたくなさです。

信じ、従い、行動した人には祝福があります。その人に、主は、さらに大きな使命を与えられるのです。

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