動画&まとめ ⑱マルコ12:28~34 最小最大の献げ物 最後の論争③ やもめの献金

   

1. ダビデの子とは? 12:35~37

「ダビデの子」というメシアの称号をイエスが好まなかったのは、政治的指導者のイメージが強すぎたからです。

メシアを人間的指導者としか捉えない人々に、イエスは、詩編110編を引用して、なぜダビデがメシアを主と呼んでいるのかと問いかけました。

らは沈黙するだけでした。

2. 律法学者への非難 12:38~40

イエスは、律法学者の偽善を指摘します。

教会に混乱をもたらすのは、支配的か依存的な性質の人。

両者はコインの表裏です。依存的な人が力を持てば、支配的にもなります。

誰もが陥りやすい誤りとは、
①人の評価を求める。
②貪欲。
③見せかけの敬虔さ。

律法学者を反面教師に、自分自身の内側を主に探っていただく必要があります。

3. やもめの献金 21:41~44

過越祭目前の神殿では、大勢が多額の献金をしていました。

「婦人の庭」に設置されていた金属製のラッパ型の献金箱は、献金が投げいられる度に、大きな音を鳴らしていたことでしょう。

イエスはその様子を注視していました。

一人のやもめが献げたのは、最小のレプタ銅貨2枚。100~200円くらいです。

イエスは、弟子たちを呼び寄せ、このやもめは、誰より多く献げたと告げました。それは生活費のすべてでした。

イエスが評価されたのは、献金の額ではなく、払った犠牲の大きさです。

宗教指導者の偽善が暴かれた後に、ひっそりと現れた真実の信仰者の姿。彼女こそ、イスラエルの残れる者です。

4. 主が喜ばれる真実の献げ物

信仰者が、献身のしるしとして喜んで行うのが献金です。

しかし、不信仰者が、余った中から、会費のように、利益への見返りとして献金するなら、神との取引のようです。

あのやもめが、すべてを献げられたのは、神の恵みの原則を体験的に学び、身につけていたからでしょう。

「与えよ。さらば与えられん(ルカ6:38)」とあるように、献げ、恵みを体験し、主への信頼が増し、信仰が成長させられるのです。

十字架の血潮によって、罪きよめられ、主のものとされた私自身を主に献げるとき、主は喜んで受け取ってくださいます。これは信仰者の特権です。

献金は、献身のしるし。信仰者は、献身した者として、キリストの体の一部として、体全体のために働くのです。

やもめは、主に贖われたイスラエルとして、過越祭に最高の献げ物をしたいと願い、実行したのでしょう。

彼女こそ、真実の信仰者。イスラエルの残れる者・レムネントです。

そしてまさに、その過越祭は、史上最高の価値ある過越祭となりました。

他ならぬメシアご自身が、犠牲の子羊として十字架にその命を献げられ、イスラエルと人類の罪を完全に贖ってくださったからです。

あのやもめの、2レプタの最小の献げ物は、永遠に記念される献げ物となりました。

そのような献げ物をしたいと願います。心からの喜びによる真実の献げ物を、主は永遠に覚えてくださいます。

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