十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

大教会時代の終焉 変わる教会 変わらない教会 考えるほかない教会のニューノーマル

2020/08/12
 
この記事を書いている人 - WRITER -
2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1.加速する教会の危機的状況

継承されない信仰、伝道の停滞、組織的硬直、それに伴う超高齢化。

ただでさえ疲弊した教会を、コロナ渦が直撃しています。

献金額、礼拝出席の減少、伝道の行き詰まり。無牧師教会の増加、兼牧、教会の合併。

さらには、教会堂の閉堂、宗教法人の解散…。

それらはすでに、過疎地や地方では、顕在化していたことですが、都市部も人ごとではありません。

個教会にもとどまらず、教団教派規模の危機へと急速に波及していくでしょう。

 

伝道への注力は必須ですが、人々を集めることができません。

ネットで伝道と言っても、それは広大な種まきであって、個別の地域教会に都合のいい刈り取りなど無理です。

現実的に可能な施策は限定的です。

身の丈に合わない不動産を処分し、必要最小限のコンパクトな会堂、集会所に移行する。組織をスリム化する。

 

集えない状況では、信者への広範なケアが求められます。

一人、二人の牧師や指導者で、それをカバーするのは無理です。

牧師に頼らない、牧会の体制作りもまったなしです。

 

千数百年に渡って、主流でありつつけた、組織的制度的教会は、大きな節目を迎えています。

よほど巨大な組織的教会以外は、存続すら難しい状況に陥っていくのではないでしょうか。

一方では、組織によらない、家の教会、自給伝道が、否応なしに、中心的な働きを担っていくことになるのでしょう。

世界的大教会か、小さな家の教会か。二極化していくのだろうと考えます。

 

2.地域教会の歴史を振り返る

【普遍的教会と地域教会】

教会と言ったときに、押さえておく必要があるのは、教会には、大きく、普遍的教会地域教会と、二つの概念があるということです。

普遍的教会とは、ペンテコステ以来、今に至るまで続いている、ただ一つの真実の教会です。

福音を信じたすべての人は、信じた瞬間から、普遍的教会の一部とされています。

普遍的教会を、聖書は、キリストの一つの体と称しています。真の信者は、キリストの体の一部なのです。

真実の信仰者からなる普遍的教会は、目には見えません。

 

一方の地域教会とは、○○教会、○○教団といった、目に見える形で存在する教会です。

地域教会には、本物の信者と偽物の信者が混ざっています。

形ばかりの信者も多いわけですが、人の目で区別することはできません。心の中は誰も見ることはできません。

 

教会について語られている場合には、それが、普遍的教会なのか、地域教会なのか、文脈から判断する必要があります。

 

【地域教会の移り変わり】

120人の弟子たちに聖霊が降り、その日の内に3千人が加わって、教会(普遍的教会)は誕生しました。

最初の地域教会だったエルサレム教会は、しかし、70年のローマによるエルサレム陥落で、消失してしまいました。

中心的な教会は、最初の数十年間にも、アンティオキア、コリント、エペソ、ローマと移り変わっていきました。

福音の広がりの一方で、多くの教会が誕生し、また消えていったのです。

常に起こり、廃れ、移り変わっていく。それが、地域教会の定めなのだと教えられます。

一方で、一つの体なるキリストの教会(普遍的教会)は、広がり、つながり、着実に成長していったのです。

 

【制度的教会の出現と歴史】

正面に司式者がいて、正面に向かって椅子が並ぶ。そのような会堂のスタイルは、キリスト教が国教化されていく四世紀以降の産物です。

11世紀に、教会が東西分裂し、16世紀には、プロテスタント諸教派が現れます。しかし、それ以降も、国教会、制度的教会が中心であることは変わりませんでした。

 

制度的教会において、洗礼は入会の儀式に、聖餐は会員の確認に陥りがちです。

礼拝に行われることの大半は、定例化した儀式であり、聖書の解き明かしは、ほんのわずかです。

儀式を秘儀や秘蹟と呼び、特別な意味を持たせている教派教団も多いです。

 

しかし、聖書は、儀式がきよめたり、力を与えるなどとは教えません。

律法においてすらそうです。

律法には犠牲を伴う多くの儀式が、定められていますが、重要なのは、主に対する忠実な信仰であり、形ばかりの儀式に、何の意味もありません。

過越祭も、そこから生じた聖餐式も、主の出来事の記念であり、体験教材として、聖書を補完するものです。

 

Ⅰサムエル記15:22
「【主】は、全焼のささげ物やいけにえを、【主】の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」

 

3.教会の最大の使命とは?

誕生間もないエルサレム教会で、人々が「毎日心を一つにして宮に集まって(使2:46)」いたのは、イエスの教えと聖書を学ぶためでした。

イエスは、神殿で、人々に教えていました(マタ26:55)。

教会の組織化を示す、7人の奉仕者の選出は、使徒たちが、「みことばの奉仕」に専念するためでした。(使徒6:4)

異邦の地のアンティオキア教会で、人々は、「キリスト者」と呼ばれるようになりました。なぜなら、彼らは常に、キリストについて学び、教えていたからです。

 

使徒の働きは、ローマにおけるパウロの宣教で締めくくられています。

「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。(使28:31)」

教会の最大の使命は、明らかです。

それは、福音を告げ、聖書を解き明かすこと。その中心は常に、主イエス・キリストです。

 

4.イエス・キリストの大宣教命令

「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:19~20)」

これは、主イエスが昇天前に使徒たちに命じた言葉です。大宣教命令と呼ばれます。

大宣教命令は、この時代の信者が、第一に従うべき、主イエスの命令だと言えます。

 

大宣教命令において、主イエスから、教会へ4つの命令が下されています。

①行きなさい。 ➡世に出て行きなさい。

②弟子としなさい。 ➡キリストの弟子としなさい。

③バプテスマしなさい。 ➡キリストに染め上げなさい。弟子としての献身の覚悟を求めなさい。

④教えなさい。 ➡神の計画の全貌を教えなさい。

 

しかし私たちは、主イエスの命令とは、逆のことを行って来なかったでしょうか?

つまり、こういうことです。

①行きなさい ➡教会堂に来なさい。

②弟子としなさい ➡弟子教育は、牧師や神学校にまかせなさい。

③バプテスマしなさい ➡この教会の教会員にしなさい。

④教えなさい ➡牧師は教えなさい。(牧師にだけ教えさせなさい。)

 

問われています。

 

5.使命から考える教会のありよう

主イエスは、「地はひとりでに実をならせる(マルコ4:28)」と言われました。

教会を育むのは、人ではなく、主イエスご自身です。御言葉の内に、主の命があり、力があるからです。

御言葉を、聖書全体の文脈に従って解き明かしていくならば、キリストの弟子は自ずと育まれ、教会は成長していくのです。

 

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6:33)」

この「神の国」は、再臨の主イエスによって実現される千年王国、新天新地です。

この時代に救われるべき最後の一人が救われたとき、教会は使命を果たし、完成します。

 

神の国の実現につながる、クリスチャンの最大の使命が、福音宣教と御言葉の解き明かしです。

私たちが、教会の使命に遣わされて行くなら、宣教のための必要は、すべて満たされていきます。

正しく聖書を理解するためには、正しく聖書を読まなければなりません。

求められるのは、聖書の著者が意図し、最初の読者が読んだように、聖書を読むという、極めて当たり前の姿勢です。

ヘブル的視点で聖書を読む、とは、ただそれだけのことです。

 

聖書は、明確に、教会の使命を告げています。

福音宣教と、御言葉の解き明かし。それがすべてです。

この本来の使命に立つところに、地域教会の存在意義があります。

組織や制度が変わっても、教会のなすべき使命は、何も変わりません。

福音を告げ、御言葉の学びを重ねていきましょう。

この記事を書いている人 - WRITER -
2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Copyright© 鹿追キリスト教会 , 2020 All Rights Reserved.