十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

コロナ渦で、これからの教会形成を考える 

2020/08/14
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

1.対コロナ 変わる対応、変わらない状況

一時期は、新型コロナの感染が最悪の状況だったイタリア。緊急事態宣言が10月まで延期された一方、状況は落ち着いているようです。

そのイタリアで、下水のPCR検査が行われています。

エリアごとの感染状況が分かることで、必要な対応を地域ごとに実施することが可能になります。

人と人との接触を減らす。という基本は変わらないわけですが、全国的な封鎖を続けては、経済がもちません。

地域ごとの状況に応じ、警告を発したり、物理的な制限を設けたりしていく。

こういう方法が、これから感染症対策の世界標準となっていくのでしょう。

 

一時期は、収束したかに見えた日本ですが、全国的な拡大が続いています。

日本人は大丈夫。というような主張に、そもそも根拠は何もありませんでした。

東京の一部地域で無症状の感染者を通して、ウイルスは広がり続けていた。それが、一定の密度に達したところで、一気に周辺に拡大し始めたわけです。

病状の経過に伴う必要な措置が分かってきたことで、重傷者や死者の数がかなり抑えられるようになってきたのは、医療関係者の努力の結果です。

しかし、分母となる感染者数がさらに増加していけば、再び医療が逼迫する可能性があると、警鐘が鳴らされています。

 

2.地域教会の現状と課題

地域教会としてできる現実的な対応は、これからもこれまでと変わりません。

礼拝の回数を増やして一度に集う人数を減らす、ライブ配信をする。時間を短縮する。手洗い、消毒などを徹底するといったことです。

 

この“状況が変わらない”ということが、私たちの最大の課題になりつつあります。

災害においても、被災直後しばらくは、人々はむしろ、通常ではなかったような力を発揮して、協力し合って難局を乗り越えます。

しかし、避難生活が、数ヶ月、半年、一年と続いて行けば、人々は、じわじわと疲弊していってしまいます。

 

多くの地域教会は、現状の維持で精一杯でしょう。

日に何度も礼拝を行い、点在する信徒を訪問し、週ごとに説教要旨などを発送し…。牧師や役員、奉仕者の疲れは蓄積されていきます。

一番頭を悩ませられるのは伝道です。集えない、という状況で、一体何ができるのか、考えさせられます。

 

継続する状況が、ボディブローのように、地域教会の体力を奪っています。

 

3.ネット伝道の可能性と限界

伝道の手段としてネットがあるわけですが、教会形成に結びつけるのは、とても難しい側面があると思います。

まず、動画配信やライブ配信を始めたからと言って、視聴者はすぐにはつきません。

youtubeのチャンネルで、千件以上登録があるのは、数%だと言います。

生計を立てるには、1万以上の登録が最低必要だそうです。

ユーチューバーと呼ばれる人々は、希少な花形なのです。

 

鹿追でライブ配信を始めた当初の視聴は数件でした。

一年後に十数件。2年後に20件前後。自粛期間中に一時増えたのが落ち着いて、現在は40件ほどです。

チャンネル登録は、ようやく350件ほど。地味な歩みだなぁと、しみじみ思います。

よほど牧師の顔が広いとか、元々ネットワークがあるという教会でなければ、最初から千件など夢のまた夢です。

 

また、地域教会の教会形成に直接結びつけるには、ネットはあまりに広大すぎます。

通える範囲で住んでいる人が、無数にあるサイトやチャンネルから、その教会につながる確率はどれほどでしょうか。

ネット伝道を有効に働かせるためには、地域教会間の広域のネットワークが必須だと思います。

教団教派であれば、既存のつながりを生かさない手はないと思いますが、実現へのハードルは高そうです。

単立教会で、他の教会とのつながりもないとなると、非常に厳しいものがあります。

 

賛美チームがすばらしいバンドを組んでいて、映像技術に長けた人がいたとしても、礼拝での雰囲気を画面越しに伝えるのは、至難の業でしょう。

ミュージシャンを見ても、ネットに切り替えて成功している例は極めて希です。生の演奏に適うものはありません。

 

youtubeで人気がある動画は、圧倒的に、なんらかの情報発信をしているものです。

スマホでも一番人気は、ニュースアプリです。ネットを通しても、劣化しにくいのが情報だからです。

地域教会でライブ配信を行うときに、やはり、中心になるのは、情報の伝達、つまり聖書の解き明かししかないと実感しています。

コロナ渦のこの状況で、いかに有効に聖書知識という情報を伝達できるか。そこに注力するように、促されています。

 

鹿追で、日曜日の10時半という、一般的な教会の礼拝時刻にライブ配信をして、それを見てくれている人がいる。

その人たちは、ライブ配信が礼拝の中心になっている。その事実に驚かされます。

鹿追の1時間半の礼拝の内、1時間はメッセージ。ひたすら御言葉の解き明かしをしているだけなのです。

視覚教材を最大限に活用していることは、ネットとの相性はよいのだと思いますが、1時間以上のメッセージは、ネットの世界では明らかに長すぎます。

喜んで毎週見てくださっている人々がいる。それが、聖書の御言葉の持つ力なのだと、教えられています。

つまるところ、伝道において一番に求められているのは、語るにせよ、聴くにせよ、主の御言葉に対する信頼なのだということです。

 

4.ネットの限界 求められるのは自発的信仰

ライブ配信というのは、手段の一つに過ぎません。

withコロナの時代に、最も強く求められているのは、一人一人の信仰だと思います。

聖書をもっと学びたい、という熱意のある人には、学びの機会が広がったコロナ渦はむしろ、益となっています。

 

鹿追では自粛期間中、LINEで呼びかけて、子どもたちとデボーションの分かち合いを始めました。

ネットで同じ子ども向けの宣教番組を見て、分かち合うのです。

何人かの青年たちが、交代で質問を考えて投げかけて、それぞれに感想を挙げる、そいういう形で続けてきました。

 

最初は、何を書いていいか分からないと言っていた子が、はっとさせられるような書き込みをするようになって、その成長に驚かされています。

子どもたち同士での自発的な分かち合いも生まれています。

御言葉を学ぶ喜びが土台にあって、それを分かち合う思いが与えられ、信仰の兄弟姉妹としての交わりが深められていく。

地域教会形成の変わらぬ基本を教えられています。

 

5.顔と顔を合わせた関係こそ

多くの人々は、信仰も薄れ、地域教会から心身共に離れていってしまっているようです。

ネットの限界を突きつけられます。

 

顔と顔を合わせた関係は、やはり、信仰生活には欠くことのできないものです。

共に学び、分かち合える、信仰の友、信仰の家族の存在が、これまで以上に大事になっているのを感じています。

実際に共に生活する家族が、信仰の家族でもあるなら最高です。

たとえそうでなくても、SNSなどを活用して、日常的に信仰の分かち合いができる人がいるなら、とても大きな力です。

 

神が、このコロナ渦の状況を通して促されていることは何か。

それは、身近な人との関係性の回復だと思います。

求められているのは、この状況でも、顔を付き合わさざるを得ない、その人としっかり向き合って、関係性を築くこと。

嫌でも浮かび上がるのは、家族との関係性です。

 

コロナ渦で、世界的に虐待やDVが激増しているそうです。

亀裂の入った家族が、さらに崩壊していく。現在進行中の、最大の悲劇かもしれません。

 

顔を付き合わせざるを得ない、身近な関係だからこその難しさがあります。

長年にわたってこじれた家族関係が回復するのは、人間的には不可能にも思えます。

家族が、それぞれに主イエスを信じて従っていくならば、主ご自身を通して、家族の絆は回復され、強められていきます。

私自身が、日々実感させられていることです。

 

何のために、世界は今、この状況に置かれているのか。

聖書が促すメッセージは、2千年前から不変です。

主イエスの福音を信じなさいということ。

福音とはすなわち、主イエス・キリストは、あなたの罪のために十字架にかけられ、葬られ、死を打ち破って復活されたということに他なりません。

 

救いの手は、目の前に差し伸べられています。

悔い改めて、主に立ち返るように、すべての人は求められています。

主イエスが、裁き主として、再び来られるときは近いからです。

 

Ⅱコリント6:1~10

私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。

神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」

見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。

 

私たちは、この務めがそしられないように、どんなことにおいても決してつまずきを与えず、

むしろ、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しています。

すなわち、苦難にも苦悩にも困難にも、むち打ちにも入獄にも騒乱にも、

疲れ果てた時も眠れない時も食べられない時も、大いなる忍耐を働かせて、

また、純潔と知識、寛容と親切、聖霊と偽りのない愛、

真理のことばと神の力により、また左右の手にある義の武器によって、

また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。

 

私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られていないようでも、よく知られており、

死にかけているようでも、見よ、生きており、懲らしめられているようでも、殺されておらず、

悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、

貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。

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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

Comment

  1. 島本和子 より:

    いつもYouTubeを拝見させてもらってます。私は、中川牧師のYouTubeメッセージと出会い、イエスキリストを救い主と信じる者となりました。高校の時に何度か教会に行ったり聖書を読んだのですが心の目が開かれる事がありませんでした。そして、40年後このネット社会において、YouTubeを通して導かれました。そして、福音メッセージをされている、鹿追教会のYouTubeに出会う事ができました。聞くだけではわかりにくい事柄をわかりやすく図や表にしてくださり、丁寧な説明で理解しやすく感じております。そして、牧師さんの優しさも感じられメッセージを聞くたびに心が癒されらのを感じます。これからも応援しております。

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