聖徒伝61 ヨシュア➌7~9章 過ちと悔い改めと アカンの罪・アイの攻略
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1. アカンの罪 7章
神の裁きの器として用いられるイスラエルには、主に完全に従い通すことが求められます。
しかし、エリコの戦いで、アカンは、主に背き、戦利品を自分のものとしていました。
アイとの戦いで、手痛い敗北を喫した民に、この事実が知らされます。
アカンと家族は、石打ちで死刑となりました。
ヨルダン川を渡り、エリコの城壁が崩れ去った、あれほどの主の御業を目の当たりにしながら、主に従わなかった。
アカンの罪がいかに重いものだったかを思い知らされます。
聖絶の戦いを汚した者は、神に聖絶される。
神の裁きの器として用いられるということは、これほどまでに厳しいものなのです。
カナン征服の戦いは、自らの正当化のために、安易に適応できるようなことではありません。
2. アイ攻略 8章
ヨシュアは、再び主に奮い立たせられ、アイとの再戦に臨みます。これは、伏兵を用いた戦略的戦いでした。
主は多彩な命令を下し、民の忠実さを図られます。その都度、主の命令に従っているのか、問われ続けるのです。
ヨシュア自ら囮の部隊を率い、もぬけの殻となったアイの町に、伏兵が攻め上りました。
戦いの間、モーセは主に従い、槍を掲げ続けていました。
かつて、アマレクの戦いで、手を挙げ続けたモーセの姿にも重なります。
ヨシュアとイスラエルは、完全に主に従い、圧倒的な勝利を得ました。
主にとっては、イスラエルの信仰を勝ち取られた戦いであったと言えるでしょう。
背きによる霊的危機から、イスラエルは無事贖い出されたのです。
イスラエルは、すべての栄光を主に帰し、主の命令に従って、律法を刻んだ石を立てたのでした。
3. ギブオンの策略 9章
ギブオンの住民は、遠方から来たと偽り、イスラエルと盟約を結びました。
主の指示を求めなかったのが、イスラエルの過ちの原因でした。
神の名で結んだ盟約を破棄できず、ギブオンは、イスラエルの奴隷となって生き延びることとなります。
ギブオンには最低限、主への恐れがあったとも言えます。
主を恐れることが知恵の始まり、救いの入り口です。
主を恐れ、御前にひれ伏そう
エリコとアイで、主が命じられた戦い方は、それぞれ全く違っていました。
霊的戦いにハウツーはありません。その都度、主に聞き従うことが求められます。
理不尽に思える苦難の中で、なぜと問う私たち。しかし、神がなされることを、人が理解しきれるでしょうか。
聖書の神は、果てしない憐れみと厳正さを併せ持った方です。
主がなされることならば、ひれ伏し、受け取る以外にありません。それが恵みです。
すべての時、あらゆる判断において、主に聞き従っていくことが求められます。
繰り返す失敗と悔い改め、度重なる困難の中で、ヨシュアは、神のきよさ、神の愛の深さ、広さを思い知らされていったことでしょう。