十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

私たちが信じていること キリストの十字架・葬り・復活の福音

2021/02/03
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

1.すべての人は罪人である

罪とは、創造主なる神から離れてしまった状態です。

最初の人間・アダムが罪を犯して以来、すべての人類は罪の状態で生まれてきます。

人類という枝が、アダムという付け根からポッキリ折れてしまっているのですから、枝の先端にいる私たちもまた、神から離れて、罪の中にあるのです。

人は、罪人なので罪を犯します。この世界は、人の罪のゆえに破壊され、闇に覆われてしまっているのです。

 

聖書で死は、神との断絶を示します。人は、神から断絶され、霊的にはすでに死んでいます。

なので、肉体的にも、死にいたるのです。罪人が死ねば、その先に待ち受けているのは、神の裁きと永遠の滅びです。

神は、義なる方であり、完全に正しい方なので、どんな些細な罪や悪も、見逃されることはありません。

罪人である人間は、誰一人、そのままでは神の目に正しい者とはされないのです。

 

2.人はイエス・キリストの十字架の死・葬り・復活の「福音」を信じて救われる

義なる神は、愛の神でもあります。神は、罪を犯し、滅びに瀕した人間を放置されず、救いの道をも示されました。

神が示された、人類の救いの唯一の道。それが、イエス・キリストでした。

キリスト(救い主)であるイエスは、子なる神。人となられた神ご自身です。

キリストは、100%神なので、人の罪をゆるすことができます。

キリストは、100%人間なので、人の罪の身代わりに死ぬことができます。

 

キリストは、罪のゆえに、私たち人間が受ける神の怒りを身代わりに飲み干してくださいました。

イエス・キリストは、私の罪のため、あなたの罪のため、十字架にかけられて死に、葬られ、しかし、三日目に死を打ち破って復活されました。

天の栄光の体で復活されたイエスは、弟子達の前に現れた後、天に昇って行かれました。

イエス・キリストは、今も生きておられ、私たちの罪をゆるすことができます。

 

聖書は、人はただ、福音を信じて救われると教えています。福音とは、神からの「良い知らせ」という意味です。

福音とは、三つの要素からなる一つのことです。

すなわち、「イエス・キリストは、①私の罪のために十字架にかけられ、②死んで葬られ、③死を打ち破って復活された」ということです。

このことを信じるとき、つまり、このような方としてイエス・キリストを信頼したその瞬間、人は、神の怒りから救われるのです。

 

蒔いた種は、自ら刈り取る。それがこの世界の原則です。クリスチャンが罪を犯せば、時に懲らしめもあります。

しかし、一度福音を信じて救われたなら、その救いは二度と失われることはありません。

義なる神は、約束を完全に守られる方です。

ただ福音を信じて救われるという神の約束が破られることはないのです。

 

3.  キリストは再び来られ、世界を完全に回復される。

キリストが天に昇られた10日後、復活から50日後、イスラエルの都エルサレムに集い、祈っていた弟子達に神の霊・聖霊が降りました。

聖霊に力を与えられて立ち上がった弟子達は、死をも厭わず、イエス・キリストの命令に従って、福音を世界中に宣べ伝えていきました。

福音を信じた、キリストの弟子となった人々を「教会」と言います。教会とは、神に呼び出された会衆という意味です。

 

今、天におられるキリストは、クリスチャンの祈りを父なる神にとりなす仲介者、大祭司の働きを担っておられます。

キリストは、この時代の終わり、世界の王として、神ご自身の栄光の姿で地上に戻って来られます。

そして、すべての悪と不信仰者を裁き、世界を最初に神が造られた時のような、理想の楽園へと造り変えられるのです。

福音を信じたすべての人は、栄光の体を与えられて復活し、新しい世界に神と共に永遠に住みます。

今の時代は、人々が福音を信じて救われるための猶予期間です。

教会の役割は、福音を告げ、人々を救いに導くことです。

この時代に救われるべき最後の一人が救われる瞬間まで、地上における教会の働きは続きます。

 

※聖書の神は、三位一体の神であるということ

聖書の神は、三位一体の神です。創造主である父なる神、救い主である子なる神・キリスト、そして助け主(ぬし)である聖霊。

父・子・聖霊なる神は、それぞれ独立した人格(専門的には位格と言います)を持ちながら、完全に一体です。

 

それぞれ独立した男女の人格が、一つの愛の関係に結ばれるのが人間の結婚です。

夫婦は一心同体などと言われるわけですが、現実には、心も体も別々で、そこに愛を育んでいくことの困難があるわけです。

しかし、神においては、父・子・聖霊なる、独立した人格が、完全に一つの愛の関係を持っている、そのように説明できます。

 

独立した三つでありながら、完全な一つ。

この次元では、絶対にありえないことが、神の領域では、完全に完璧な調和を持っているのです。

関係のないところに愛は生まれません。

神は、三位一体という完全な関係性をご自身の内に持っておられるからこそ、完璧な愛の方なのです。

 

私たちの信仰基準

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