十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

救いの永遠の保証について確認しよう

2022/04/17
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

1.  救いは失われることがある?

「そんなことでは、救いが取り去られますよ」と言われて、不安にさいなまれているクリスチャンは少なくありません。

いったいどこまで奉仕したら、認められるのか。信仰生活が苦しいばかりで、疲れ切ってしまった…。

そんな相談を度々受けます。

 

さらに深刻なのは、その教会の指導者がカルト化しているケースも少なくないということです。

カルト化した教会や異端は、例外なく、救いは失われることもあると主張しています。

恐怖を抱かせ、脅して従わせるには、好都合なのでしょう。

 

2.  じゃあ、一体誰が救われる?

「救いは失われることがある」と言い出すなら、では一体誰が救われるのか。ということになります。

罪を冒さない人はいません(Ⅰ列8:46)。

自分には罪はないと言う人は、神を欺いています。その人こそ、福音を信じておらず、救われていません(Ⅰヨハ8~10)。

 

カルトリーダーのような支配的な人ほど、外面をよく見せる術を心得ています。

欲望の達成のためなら躊躇なくウソをつき、神をも欺く。

あるいは、自分は正しいと信じて疑わない。

そのような人には、後ろめたさの影すらありません。

ですから、この人は完全な信仰の持ち主で、立派な人だと思い込まされたりするのです。

 

もし神が、些細な罪も見逃さす、厳しく裁き、救いすら取り上げられ恐ろしい方だと言うのなら、どうして、神の前に正直でいられるでしょう。

いつも自分を繕っていなければない。偽善に満ちた信仰生活は苦痛なだけです。

 

3.  今も生きるイスラエルへの神の約束が救いの土台

アダム以来、すべての人は神と断絶し、罪と死を抱えて生まれて来ます。

大洪水、バベルの塔の事件が突きつけるのは、罪ある人間に平和は築けず、滅びにひた走るだけだという現実です。

神は人類にメシア(救い主)を送ると予告され、アブラハムを選び、その子孫にメシアが誕生すると約束しました。

アブラハムは、まだ見ぬ神の約束を信じ、義と認められました(創15:6)。

アブラハムの子孫イスラエルは、神の約束通りにエジプトを脱し、モーセの律法により神と契約を結びました。

イスラエルは、律法を破り続け、終には神の裁きを受け、約束の地を追放されました。それでも神は、イスラエルは見捨てられませんでした。

 

約束されたメシアは来られた。信じたのはイスラエルのごく一部であり、メシアを拒んだこの世代は、エルサレム陥落により世界中に離散しました。

教会の中心が異邦人信者となって久しいわけですが、それでもイスラエルはなお見捨てられていません。

世の終わりの裁き・大患難時代を経て、イスラエルは民族的回心に導かれ、再臨したイエスを王として、永遠に神の国を治めることとなります。

 

アブラハムが信じた通り、神は約束を実行する力ある方です(ロマ4:21)。

神の約束は永遠で、すべて必ず成就されます。

イスラエルへの約束は、クリスチャンの永遠の救いの土台と言えます。

クリスチャンは、メシアの贖いをただ信じて、神の怒りから救われた。パウロは確信して語っています(ロマ5:8~9)。

 

4.  究極の約束の実現が十字架

「キリストは、すべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分ために死んで、よみがえった方のために生きるためです(Ⅱコリ5:15)。」

キリストの救いについて、一度きりの完全な出来事として聖書は記します。

 

「信じる者がみな、人の子にあって永遠の命を持つ(ヨハ3:15)」 

永遠の命とは、決して失われることのない、永遠の救いそのものです。

いのちのパン(福音)を信じ、いのちの水(聖霊)を得た者は、いつまでも飢えることも、渇くこともありません(ヨハ6:25,4:13~14)

 

福音を信じた者は、主の御手の内にあります。

「誰も彼らを父の手から奪い去ることはできません(ヨハ10:29)」

「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません(ロマ8:38~39)」 とある通りです。

 

「イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって、神に近づく人々を完全に救うことがおできになります(ヘブル7:15)」

「ですから、今キリストの血にあって義と認められた私たちがこの方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです(ロマ5:8~9)」

「御子を信じる者はさばかれない(ヨハ3:18)」

これ以上何が必要でしょうか。

 

5.  確信があるから成長できる

福音を信じた瞬間、人は新生し、聖霊の証印を押され、永遠に神の所有とされています。

しかし、その一方で、相変わらず罪にまみれた自分の現実に直面させられます。

使徒パウロすらこう言っています。

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ、捕らえようとして追求しているのです(ピリ3:12)」

 

不完全な地上の肉体をもって生きる限り、罪に悩まされます。

完成を求めつつ、一生あがき続ける私たちを、しかし、主が絶えず支え導かれています。

「そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私たちを捕らえてくださっているのです(ピリピ3:14)」 とある通りです。

 

救いは失われることはありませんが、救いの確信は容易に失われます。

罪を犯し、悔い改めがなければ、「私は本当に救われているのか」と、疑いに簡単に心を捕らわれてしまいます。

思い起こすべきことをパウロは告げます。

「しかし、働きがない人であっても不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます(ロマ4:5)」

そうです。

「神は私たちを救い、また聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした(Ⅱテモ1:9)」 

約束に基づく一方的な恵み、それが神の救いです。

 

「何かを、自分が成したことだと考える資格は、私たち自身にはありません。私たちの資格は神から与えられるものです(Ⅱコリ3:5)」

ただ福音を信じて救われた私たちは、ただ福音を信じ続けて、内に住まわれる御霊によって変えられていくのです。

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