聖徒伝145 預言者11 ホセア書10~12章 イスラエルへの神の愛 「これほどまでに愛されている」
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1. 罪と裁きと大患難時代 10章
主がイスラエルを裁き、偶像礼拝を絶たれます。北王国に善王は不在でした。
大患難時代に、イスラエルは反キリストと契約を結び、苦難を招きます。
山々に、身を覆えと叫ぶ民の姿は、終末の災いの苦難を示しています。
世界中の軍が神の民を殲滅すべく結集する。それが最終戦争ハルマゲドンです。
イスラエルが主を拒み、自力に頼ったことが、すべての罪の根源でした。
2. 裁きのただ中の主の憐れみ 10章
出エジプトを導いた神から、幼いイスラエルは離れ、偶像礼拝に陥ります。
天からマナを与え、非常な優しさで導いた神を民は重ねて裏切りました。彼らを待つのは、アッシリア捕囚です。
しかしなお、主はイスラエルに熱情を注ぎ、憐れみ愛し、逃れ場を与え、絶滅の危機から救い出されます。
イスラエルは震えながら約束の地にやって来ます。
不信仰のまま帰還し、建国に至った、今の状況は、世の終わりの裁きのための一時的な回復です。
3. ヤコブ・イスラエルを導く神 10章
度々、善王を輩出した南王国には、しばしの猶予が残されています。
しかし、北王国は、混乱した外交の末、アッシリアに滅ぼされるのです。
ヤコブの失敗は、自力で祝福を得ようと父を欺いたことでした。
しかし、ヤボク川の格闘で、ひたすら主にすがりつき、信仰を認められたのです。
主は民に、誠実と公正を求められます。
北王国では、一握りの権力者が、不当な搾取を繰り返し、経済的繁栄こそ正義だとうそぶいていました。
彼らを待つのは、虜囚の流浪の日々です。
ヤコブが北に逃れたように、イスラエルはアッシリアに連れ去られます。
イスラエルを堅く守り、厳しく裁かれるのは、モーセが、“もう一人の預言者”と呼んだメシア、この方です。
4. 主の愛をこし味わい知ろう
義なる神は、罪人と悪を罰せないでおられません。愛の神は、愚かな民を憐れみ、忍耐し、救い出されます。
この究極の答えが、子なる神、メシアによる、十字架の犠牲の罪の贖いでした。
ここに史上かつてない、真実の愛があるのです。
モーセもパウロも、永遠の滅びすら覚悟して民の罪の赦しを訴えました。
預言者たちも神の愛に絶ち、使命のために惜しまず命をささげました。
娶った姦淫の女を、ホセアは全身全霊で愛し、不貞を悲しみに嫉み、なお愛し、許して、闇から救い出しました。
聖徒たちが示した愛の大きさに、身も心も揺り動かされます。彼らは、その身をもって、主の愛を証ししました。
ちっぽけさを思い知らされる私にも、主はキリストの似姿への日々の変化を求めておられます。
自分にできることなどありません。きっちり打ち砕かれ、新たにされていきましょう。
ホセアが必死に伝えたのは、はかりしれない神の愛の大きさです。
途方もない神の愛に日々打ち砕かれて、神の愛を生きる者へと変えられていきましょう。