動画&まとめ ⑮マルコ11:1~11 エルサレム入城 ~人々の期待と現実~
1. エルサレム入城 マルコ11:1~11
海抜マイナス400mから1000mへ。ヨルダンの低地から上り詰めたところがエルサレムです。
のすぐ手前、オリーブ山のふもとでイエスは、近くの村に弟子を遣わし、ロバを調達させました。
告げられた通りに手に入れたのは、まだ誰も乗ったことのない子ロバでした。人を乗せるには訓練が必要ですが、ロバも、神の子には素直に従います。
荷を運んだり、畑を耕すために用いられるロバは、平和の象徴です。
ロバに乗ってエルサレムに向かうイエスは、ゼカリヤ書9:9に預言された平和の王、メシアの姿そのままでした。
過越祭には、100万もの人々がエルサレムに集ったと言われます。おびただしい巡礼者たちは、シュロの葉をふり、上着を道に敷いて歓迎しました。
人々の賛美や振る舞いは、神の国を実現させる王なるメシアに対するもの。本来、秋の仮庵祭で行うことです。
人々が、まったく理解していなかったのは、初臨のメシアは、苦しみを受け、人々の罪を贖って死ぬために来られた、ということでした。
2. イエスの涙 ルカ19:39~44
この時、パリサイ人が抗議しました。イエスはメシアではないと結論づけていた彼らには、我慢ならない光景でした。
黙らせようとする彼らにイエスは、「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」と告げました。
ハバクク書2:11に、「石は石垣から叫ぶ」とあります。バビロニアに滅ぼされた民の苦しみの叫びを現すこの言葉。イスラエルには、バビロニアによるエルサレム陥落を思い起こさせたでしょう。
これは、神への背きが招いた裁きであり、イスラエルの宗教指導者の責任の重さを痛感させられます。
エルサレムの都を前に号泣されたイエス。その目に映っていたのは、70年、ローマによって徹底的に破壊されるエルサレムの姿でした。
イスラエルが公にイエスはメシアではないと拒んだ時、この時代のユダヤ人への裁きは確定してしまっていました。
イエスの嘆きの言葉そのままに、エルサレムは破壊され、神殿は、石の一つに至るまで完全に崩されました。
3. 私たちのところに主は来られた
ロバに乗り、平和の王として来られたメシア。
この主なるイエスは、神の怒りを身代わりに受け、十字架で死んで葬られ、復活するために来られました。
私たちが神と和解するためです。
主イエスは、復活の後、天に昇られ、神の右で大祭司として私たちのためにとりなし、祈ってくださっています。
そして、この時代の終わりに、キリストは、王の王として来られます。
白い馬に乗り、悪と戦い、勝利を収めるために。
すべての悪は陰府へ落とされ、世界は、エデンのような楽園へと回復されます。
イエスを信じたすべての人は復活し、永遠の喜びを生きるのです。
主イエスを拒み、神に反逆した人が、裁き主イエスに出会う。それは、永遠の滅びが告げられる時です。
平和の王イエスを招き入れ、平安の内に歩んでいくことができますように。