十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

改めて教会のメンバーシップを考える

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

1. 教会員になりたい?!

先日、鹿追教会のライブ配信で礼拝に参加されている方から、教会員になりたいと連絡がありました。

とうとうその時が来た、というのが実感です。

開拓2年目に開始した礼拝のライブ配信も今年で5年目。最初は1,2件だった視聴も40~50件は堅くあり、その多くは、定期的に献金くださっています。

コロナ禍以降、平日の日中に行ってきたバイブルスタディ後の分かち合いには、毎回、20名前後の方が参加されていて、豊かな交わりの場になっています。

先日も、家族への伝道の思いを与えられ、父親を救いに導いた方の証を聞きました。

回を重ねるごとに関係性が深まり、恵みが増しています。

ネット上に、実質、地域教会が誕生しているのではないか。

だとすれば、その群れを導いていく責任をも与えられているのではないか。そんな思いが与えられていたところでした。

 

2. 教会とは何か?

教会(エクレシア)は、神に呼び出された人々、信仰者の群れを指します。

会衆、集会とも訳されます。「神の真理を教え教わる会衆」と理解するなら、「教会」も悪くない訳語だと思います。

ペンテコステ(五旬祭)に、エルサレムで祈っていた弟子たちに約束の聖霊が降った。それが教会の始まりです。

教会には、普遍的教会と地域教会があります。

普遍的教会は、この時代のすべての信仰者のことです。目には見えませんが、歴史を通してたった一つだけ存在しています。

地域教会は、地上にある目に見える教会です。

教団教派も、大小に関わらず地域教会の一つです。

地域教会には本物の信仰者と偽物が入り混ざっていますが、外見上の区別はつきません。

 

3. 聖書が前提とする信仰共同体

神の計画は、イスラエルという民族共同体を通して進展してきました。

教会も、誕生の当初から一つの共同体でした。

エルサレムに集い祈っていた120人の弟子たちから始まり、その日の内に3千人が加わっています。

信仰共同体の存在が聖書の大前提です。

宣教が広がり、やがて各地に地域教会が起こされていきます。

使徒たちの手紙の多くは、共同体に宛てたもので、地域教会の存在を明確に示しています。

聖書に「教会員」にあたる用語はありませんが、個々の地域教会に何らかのメンバーシップがあったのは確かです。

ただし、「○○教会員」というほどの強い所属意識があったわけではないようです。

パウロは、コリント教会の分派問題を厳しく批判しています。

信者に第一に求められたのは、普遍的教会の一員であるという意識でした。

 

4. 地域教会に連なってこそ

すべての信者は、普遍的教会である一つのキリストの体に連なる、小さな一部分です(Ⅰコリ12:27)。

一人は、キリストの体の一つの細胞と言えます。細胞一つ取り出されても何もできません。生存さえ困難です。

地域教会を、手、足といった一部分とするなら、細胞である一人の信仰者が役割を果たすには、どこか、体の一部につながっている必要があります。

また、すべての信者は、神を天の父とする兄弟姉妹、家族です。

家族の存在が人を成長させるように、信者は、地域教会につながっているからこそ、互いに学び、交わり、時に戒めあい、成長していくことができるのです。

 

5. 地域教会とは何か?

パウロは町を訪れ、基本的な教えを伝えると、長老を立て、託しています。

教会に宛てた手紙も、指導者の存在を前提としています。

複数の長老から按手を受けた長老がいることは、地域教会の一つの条件と言えそうです。

教会員(構成員)は、どう考えたらよいでしょうか。

使徒時代、離散のユダヤ人には、商売のために各地を転々とする者も多く、地域教会のメンバーも極めて流動性が高かったようです。

使徒たちの手紙からも、人々が頻繁に行き来していた様子が伝わってきます。

日本の教会の特徴に、教会籍を重視するということがありますが、教会籍という概念は、聖書には皆無です。

戸籍制度という世界でも珍しい日本特有の制度の影響が、教会文化に転写され、根付いているものと思われます。

使徒行伝のわずか30年で、教会の実質的な中心は、エルサレム、アンテオケ、エペソ、ローマとめまぐるしく移っています。

最初の地域教会であるエルサレム教会について言えば、紀元70年のローマ陥落前に喪失しています。この時、エルサレムのクリスチャンは都を脱出し、エルサレムの地域教会も消滅したのです。

著者の視点は明らかに、広がって行く福音そのものにあり、地域教会に力点は置かれていません。

地域教会には、正しく教え導く長老が必要ですが、それは、地域教会に連なる一人一人が宣教者となるためです。

 

6. 使命に立つ地域教会とは?

主イエスの大宣教命令に明らかなように、教会の第一の使命は福音宣教です。

福音を信じた者に求められているのは、福音を伝えること。救助された人が、救助隊となるよう促されているのです。

大切なのは救出活動そのものであり、救出チームの存続ではありません。

福音宣教のための地域教会であって、地域教会のための福音宣教ではありません。

地域教会という組織の拡大、維持を目的にしてしまうと本末転倒です。

チームには、解散も再編もあります。地域教会も、一つの役目を終えれば、なくなって構いません。

黙示録に記された七つの教会は、どこも存続していませんが、それでよいのです。

 

7. 使命のための働き場として

地域教会は、会員制のクラブやサロンではありません。

主に与えられた福音宣教の使命に共に召されている、という意識が、地域教会に連なる一人一人に何より求められていると思います。

第一に日々怠りなく御言葉に聴き、学び、共に交わり、時に互いの叱責をも厭わず、信仰の成長を求め、そこから個々の働き場に遣わされて行く。その限りにおいて、私たちは、地域教会として、一つのチームとして、働いていくことができます。

教会の使命の本質を理解し、ブレないことが常に求められています。

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