同性愛は罪ですか? 聖書の示す性的罪の基準と救いと贖いと  

      2017/12/16

1. 聖書が記す、性的な罪

聖書の律法は、婚姻関係外の性行為のすべてを禁じています。さらにイエスは、情欲を抱いて、他人の妻を見れば、それも姦淫の罪だと言われました。(マタイ5:27)

神の基準では、私たちの内面の情欲までもが、問われるということです。

新約聖書マタイ福音書5~7章の山上の説教と呼ばれる箇所は、律法を定められた神ご自身の律法解釈が記されているところです。

その中には、他人に「バカ」「愚か者」という者は、殺人同様の罪を犯しているとも記されています。それが本当の神の基準だということです。

「神の基準に照らし合わせたら、一体誰が、罪から逃れうるだろうか」そのような厳しい問いかけをしているのが、イエスの山上の説教なのです。

性的な罪に関しても、私たちの内面の情欲までもが問われるのなら、性的罪を犯したことのない人などいるのだろうか、というのが、聖書が私たちに突きつけていることです。

その上で、同性間の性行為についてですが、聖書に従えば、同性間の性行為、同性に対して情欲を抱くこと、ともに罪だということになります。

異性愛者も同性愛者も、誰も性的罪からは逃れようがないということです。

聖書が禁じているのは、あくまで同性間の性行為、情欲ですから、「同性愛」ではなく、「同性間の性行為・情欲」と、正確に定義する必要があると思います。

同性愛という自覚の全くない異性愛者が、異性の代替として、あるいは、相手に屈辱を与える暴力的手段として、同性を犯すこともあります。

一方、性行為や性的情欲を伴わない関係であれば、同性同士のパートナーも問題ないと言えます。

2. 罪の自覚は、どこまで必要?

同性愛者であると公言しているクリスチャンや牧師もいます。その人は救われているのかと、ある人に問われました。

救いの条件は、誰であっても同じです。同性愛者であろうとなかろうと、福音を信じたなら、救われていますし、信じていないなら、救われていません。

では、同性間の性行為・情欲が罪であるという認識のないままに、信仰告白をして、洗礼を受けたという場合は、どうでしょうか?

福音を信じる前提として、罪人の自覚は必要です。しかし、信じた時点で、自分の罪のすべてを自覚するなんてことは、不可能です。

信じた者の内に住まわれる、聖霊の助けがあってこそ、本当の意味で、自分の罪に気づかされていくからです。

同性間の性行為・情欲は、罪ではないと教えている教会や牧師(わたしもそうでした)もありますから、同性愛が罪という認識のないまま、福音を信じる可能性は十分あります。

ここでも、原則は同じです。たとえ不十分な認識だろうと、自分は罪人だという自覚があって福音を信じたのなら、その人は救われています。

3. 聖化の課程も当然同じ!!!

福音を信じて救われた人は誰しも、聖化の課程を歩んでいきます。

信仰の成長とは、これまで意識しなかった自分の罪を自覚させられていく課程でもあります。罪に気づかされて、謙遜にさせられていくのです。

罪に気づくたびに立ち返るところ。それは、何の罪悪感もなく罪を犯し続けていた、あんな自分のために、イエス様は、十字架にかかってくださっていたんだ、という信仰の原点です。

改めて赦しを受け取るときに、喜びあふれ、気づかず犯し続けてきた罪を手放せるようになっていくのです。

いきなり、罪を完全に断つのは困難です。大概、変化は少しずつです。

毎日怒鳴り散らしていた人が、1年、2年と過ぎたときに、ふと、最近怒ることが減ったと気づく。そんなものです。

性欲にしろ、物欲や支配欲にせよ。欲望に係わる罪を断つのは、大変なことです。

あるものを見聞きするだけで、心身が反応してしまうわけですから、自分の意思でどうこうできることではありません。

それでも希望があるのは、罪の中から立ち直ったと、自分自身の体験として証ししている人が少なからずいることです。同性愛者であったけれども、そこから癒されて、異性と結婚して、幸せな家庭生活を築いている、と証ししている人もいます。

これは、信仰によって癒されたという個人的な体験ですから、信仰のない人に押しつけられることではありません。福音を信じたら、同性への情欲から解放されると約束しているわけでもありません。完全に癒される人もいれば、なお厳しい戦いが続く人もいるでしょう。

ただ、様々な罪のことがらについて、信じて歩む過程の中で、徐々に癒されてきた、解放されてきた、という体験そのものは、福音を信じる多くのクリスチャンが味わっていることだと思います。

「わたしにはできません。しかし、主が助けてくださるならできます」 それが信仰です。

神に信頼して歩んでいくときに、自分ではどうしようもなかったことが、癒され、変えられていくことを、信仰者は、体験させられていきます。

4.同性愛者は罪人か?

「同性愛者は罪人か?」と尋ねられたら、同性愛者もまた、罪人です。とわたしは答えます。

同様に、異性愛者も罪人です。義なる神の基準に従えば、正しい人など一人もいません。

すべての人は、罪人である。それが、聖書が記すことです。

だから、私たちには救いが必要です。

愛の神は、その救いの道を、すでに開いてくださっています。

神のひとり子、イエス・キリストが、わたしの罪のために、あなたの罪のために、十字架にかけられた。

死んで葬られ、復活されたイエスは、今も生きておられて、共におられます。救いの手はすべての人の前に差し出されています。

主イエスよ、あなたを信じます。と救いの手を握り返した時、救いはあなたに訪れます。ただ、それだけのことなのです。

5. 同性愛者は、神に愛されているか?

神は、同性愛者であるあなたを愛されています。

どれほどに愛されているか?

ご自身の愛するひとり子を、あなたの犠牲として十字架に献げられたほどに、神はあなたを愛されています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

ヨハネ福音書 3:16

 

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