十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

悪魔(サタン)・悪霊との向き合い方を考える

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

1.  間違った悪魔との向き合い方

悪魔も悪霊もいないという人がいる一方、世界を影で操る悪の組織があると騒ぎ立てる人がいます。

「悪霊よ出て行け」とことあるごとに叫びまわる人がクリスチャンがいます。

悪魔や悪霊を、かっこいいダークヒーローや、かわいいキャラに仕立て上げたマンガは山ほどあります。

擬人化した悪魔や悪霊のやりとりを面白おかしく書く人が、クリスチャンや、牧師にもいます。

聖書から言うと、悪魔に向き合う姿勢としては、どれも間違いです。

では、私たちは、どのように悪魔、悪霊に向き合うべきなのでしょう。

 

2.  聖書が記す、悪魔、悪霊の存在

悪魔、悪霊の存在は、旧新約聖書を通して記されています。

新約の著者は皆、悪魔・悪霊の存在を認めています。

主イエス自身も何度も語っています。聖書はその存在を明確に認めています。

悪魔の起源は、堕落した天使長・サタンです。

サタンは高慢にも自らが神に代わろうとして追放されたのです。(エゼ28:11~19,イザヤ14:12~14)

この時、サタンと共に地に堕ちた1/3の天使たちが悪霊です(黙示録12:3~4)。

 

3.  悪魔追い出しを行うべき?

主イエスは、頻繁に悪霊追い出しを行われています。

主イエスの時代には、世界中の悪霊がイスラエルに結集し、メシアの働きを妨害しようとしていたのでしょう。

裏切り者のユダには、サタン自らが「入った」とも記されています。

 

使徒たちも悪霊追い出しを行っていますが、年を経るごとに、その頻度は少なくなっています。

使徒たちによる悪霊追い出しは、彼らの語る言葉が神の言葉であることを証明するしるしでした。

新約聖書の完成後は、しるしとしての奇跡は不要になったのです。

 

主イエスの昇天後、福音が広がって行くのに合わせて、悪霊は再び世界中に散っていったことでしょう。

クリスチャンが直接、悪霊に接する機会も激減したと考えられます。

ごく希とは言え、悪霊に憑かれているとしか思えない状況に遭遇することがないとは言えません。

その時には、ただ主を信頼して臨めばよいだけです。

信じた者の内には、聖霊が住まわれていますから、悪魔に乗っ取られることなどありません。

 

ことあるごとに、「悪霊よ出て行け」と叫んでいる人がいます。

悪霊のことばかり気にしているその人の心の中は、悪霊で占められていると言えるでしょう。

それこそ、悪魔の思うつぼではないでしょうか。

 

4.  悪魔が世界を牛耳っている?

サタンは「この世の君」と呼ばれます。地上世界の実質的な支配者であるということです。

サタンは、自分を拝めば、この世のすべてを与えようと主イエスを誘惑しました。そう言える根拠が確かにサタンにあるのです。

では、地上の人間の組織は、すべて悪魔に操られているかというと、ことはそう単純ではありません。

 

ヨブ記には、サタンが、義人ヨブの信仰を試すために神の許可をとりつける場面が記されています。

世の終わりの大患難時代に、おびただしい悪霊を陰府(よみ)から地上に解き放つのは、主なる神ご自身です。

サタンと言えども、神が許可された範囲でしか力をふるえないのです。

蛇を通してアダムを誘惑し罪を犯させたように、サタンは有史以来、常に人を惑わし、滅ぼそうと働きかけてきました。

しかし、その活動範囲は常に、神によって定められているのです。

 

全人類を支配し神に逆らおうとしたサタンの試みは、大洪水と統一言語の喪失(バベル事件)により砕かれました。

それ以降の人間の神への反逆は、局地的なものに過ぎません。

南北時代のイスラエルのように、罪が深まるほど、分裂し混沌を増すのが人間の現実です。

サタンと悪霊は、統一された悪の組織を持っていますが(マタイ12:26)、人間を統一させるには至っていません。

主ご自身が、悪による人間世界の統一を阻害されているのです。

世の終わりに世界政府が誕生すると、聖書(ダニエル7:23~24)から私たちは理解していますが、それは、神の介入によってはじめて可能になることです。

 

5.  世の終わりの世界政府とは?

サタンによる世界統一が実現するのが、世の終わりにおいてです。

しかしこれは、サタンの力によるのではなく、神が許可することで実現されます。

では今現在、世界統一政府は存在しているのか。というと、これは明確に、まだ存在していない、と言えます。

 

終末に起こる一連の出来事は、神が直接この世に介入された「しるし」です。

世の終わりの裁きは全人類に対するものですから、神のしるしも全人類に対して明確に現される必要があります。

現に、黙示録に記された神の裁きの数々は、これまで人類が経験したどんな災厄とも異なる異次元のものです。

だからこそ、誰も否定できない終末の神の裁きのしるしとなるわけです。

この異次元の災厄をもたらす神の存在を信じ、唯一の救い主イエスを信じるかどうか、全人類が問われるのです。

誰の目にも否定できない形で出現していないのなら、世界統一政府はまだ、存在していません。

はっきりしています。

 

6.  サタンを侮らないこと

ユダの手紙9節には、天使長ミカエルが、サタンをののしってさばきを宣言することをせず、主に委ねたということが、信者のみならうべき模範として記されています。

霊的に巨大な力を持つ天使長ですらそうしたなら、私たちはなおのことです。

完全な形で造られた最初の人間アダムですらサタンに惑わされたのなら、私たちは言うまでもなく、サタンに抗う力など持ち合わせていません。

サタンや悪霊を揶揄して、悪霊のやりとりを面白おかしく描くようなことは厳に慎むべきであると思います。

人間が、サタンを自分の手の平の上で転がそうなどと愚かなことをすれば、簡単にサタンにいいように扱われてしまうでしょう。

 

7.  ただ主の御顔を見上げよう

光と闇の対決は、聖書のテーマの一つです。

重要なのは、どうあっても闇は光に打ち勝てないということです。

創造主である神に、被造物にすぎないサタンが適うわけがありません。

 

ではなぜ神は、サタンを滅ぼされないのでいるのでしょうか?

神ご自身が栄光の姿で地上に降り立てば、一瞬で勝敗は決します。

しかし、同時に罪人である人間も瞬時に滅んでしまうことでしょう。

今という時は、救われるべきすべての人を救いに導くための恵みの時なのです。

 

私たちがなすべきは、主が愛する御子の犠牲によってもたらされた福音を信じ、この救いの道を人々に伝えることです。

私たちはただ、愛と義の神に完全な信頼を寄せ、従えばよいのです。ただ主の御顔を見上げて歩みましょう。

 

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